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17世紀のオランダが生んだ『市民的家庭生活がテーマ』となった絵画をご紹介するウェブ・ ギャラリーです。


17世紀オランダの風景画と生活画

写真風にいえば『生活のスナップショット』



VOLUME1.gif


フェルデ川   演奏
J.Velde source: visipix.com

17世紀のオランダは、ほかの西洋の国々にはない特異な名画
を数多く描き残しています。
私にとっては、日本の遠近法への
影響に関連して調べてみまして、初めて知ったことです。


一般に、西洋での風景画の誕生は、近代になってからとされています。
また、庶民的な人物が登場する絵画も近代までは、まれです。王族や
貴族、僧侶、キリスト、マリア、新・旧聖書、ギリシャ神話などがほとんどです。
17世紀のオランダは、このまれな風景や庶民的な絵画を残しています。
それも、宗教色をほとんど感じさせないものです。
有名なレンブラントや
フェルメールだけではなく、この方たち以外にもたくさんの人たちが風景
画・風俗画を描いています。(近代とは産業革命・フランス革命以降と
いう意味で使用しています。18世紀末頃から。)(現在のベルギー
も含めてあつかっております)

また、タイトルに 生活画という言葉を使いましたが風俗画の
意味です。 ただ、最近では風俗という言葉があまりよい
意味で 使われないために、この言葉を使用しました。


17世紀ヨーロッパの状況(1648年頃)
17世紀ヨーロッパ地図
source: wikimedia commons




ブラウBlaeuの地図 1652年 「アムステルダム」
Blaeu1652Amsterdam.gif
source: wikimedia commons



 レンブラントRembrandt van Rijn (1606-1669)
レンブラント風景1
REMBRANDT'S ETCHINGS METHUEN AND CO.LTD 1912年本を使用。



レンブラントRembrandt van Rijn (1606-1669)
レンブラント風景画1
REMBRANDT'S ETCHINGS METHUEN AND CO.LTD 1912年本を使用。



フェルデ Jan van de Velde (1593-1641)
JanVelde1
source: visipix.com





ホッペマ Meindert Hobbema(1638 - 1709) 「田舎道」
Hobbema
source: wikimedia commons



ホッペマ Meindert Hobbema(1638- 1709)
Hobbema2
source: wikimedia commons



ホッペマ Meindert Hobbema(1638- 1709)
Hobbema6
source: wikimedia commons



ホッペマ Meindert Hobbema(1638- 1709)
Hobbema4
source: wikimedia commons





アーフェルカンプ Hendrick Avercamp(1585-1663)
Avercamp
source: visipix.com
水彩画と思われます。



ヤン・ライケンと息子著・画「人の職業」1694年初版出版
スケート靴職人

ライケンスケート靴職人
オランダのフリーソースを使用。レタッチ処理。






ネール Aart van de Neer(1603- 1677)
Neer2
source: wikimedia commons



ネール Aart van de Neer(1603- 1677)
Neer3
source:wikimedia commons





ホイエン(ゴイエン) Jan van Goyen(1596- 1656)
Goyen1
source:  visipix.com



ホイエン(ゴイエン) Jan van Goyen(1596- 1656)
Goyen2
source: visipix.com





ベルクハイデ G.A.Berckheyde (1638-1698)
Berckheyde1
source: wikimedia commons



ベルクハイデ G.A.Berckheyde (1638-1698)
BerckheydeAmsE.gif
source: wikimedia commons



ベルクハイデ G.A.Berckheyde (1638-1698)
ベルクハイデ2
source: visipix.com



ベルクハイデの遠近法について

17世紀のオランダ絵画を見ていますと、一点透視による遠近法が
完璧なまでの完成を見せています。

遠近法のはっきりした例を一枚、下へ掲載いたします。

Pieter Saenredam, Interior of the Church of St.Bavo, Haarlem
Saenredam_StBavo_Hrrlem_vispix_W500
1648年。Source: visipix.com。上の絵の教会内部です。

ベルクハイデの作品も、この一点透視による遠近法表現が完璧と
言えますが、この方の場合、この一点透視を超え、二点透視法を
用いた作品が、複数枚あります。


上に掲載した3枚の作品の内、1番目と3番目がこれにあたり
ます。


三番目の作品と同じハーレムのSt Bavo's教会を描いた別の作品
がありますが、この作品は、教会がかなり斜めの角度から描かれ
ていまして、上に掲載した作品以上にはっきりとした二点透視に
なっています。

(残念ながら、掲載できる画像がありません。また、ベルクハイデ
 は、兄・弟二人います。上に掲載した作品は、弟の方の作品で
 す。ヨップ・Jobと言う兄も、絵を描いています。この方の作品に
 も、上記技法の作品があります)


大雑把ではありますが、過去および同時代の作品を調べてみた
範囲では、二点透視法をうかがわせる作品はほとんどないと言え
るほどに少ないです。

(古くは、例外的に、イタリア・ルネッサンスの時期ギストと言う人
 の作品にこの技法が見受けられますが完成度が低です)


この二点透視法が、壁や柱、天井、床など全体に認められる同時
代の数少ない画家には、
フリート(Hendrick)、ウイッチ、ハウクヘ
ースト
がいます。
これらの画家に共通していると思われる点は、デルフトの教会内部
を描いた作品にのみに見受けられることです。

制作年代は、1650年から1650年頃です。
ベルクハイデの兄の作品も、二点透視が確認出来るのは、やはり
教会内部を描いたものです。

ハウクヘースト, Gerard Houckgeest, New Church, Delft.
Houckgeest_new_church_Delft_visipix
 source: visipix.com.

他に、この技法が作品の一部に認められる同時時代の画家には、 バッセン、メッツー、ステーン、フェルメール、ホーホ などがいます。

バッセンの場合は、「Renaissance Interior with Banqueters」他二点ほどの作品において、両方ともに床面に認められます。

メッツーの場合は、「A Man Writing a Letter」と言う作品の床面に認められます。

ステーンに関しては、作品名が分からないのですが、一枚はあるこ
とを確認しています。


フェルメールの場合には、「音楽の稽古」など、4枚ほどの作品の
床面に、はっきりと認められます。

フェルメールの場合は、全体は一点透視の作品でも、箱形の家財
などに、かすかに二点透視的描き方が見受けられる作品が、少し
あります。


さらに、ホーホの場合も、「Family Making Music」と言う作品の床面
に認められます。


バッセン、メッツー、ステーン、フェルメール、ホーホに共通している
ことは、床面だけにこの技法が、ほぼ確かな状態で認められるこ
とと、この床面が、明暗のはっきりした市松模様のタイル状石床で
あることです。



この二点透視法は、18世紀になってから、そこそこ見られるように
なる技法のように思います。この技法を用いた18世紀の代表的な
画家を二人だけ挙げてみますと、イタリアのピラネージとイギリスの
ホガースになリます。この二人が、二点透視の代表格と言えるよう
に私には思えます。

ピラネージの作品
piranesi2_R.jpg
 source: visipix.com.

ウィリアム・ホガースの作品
William_Hogarth_1_W500
 source: visipix.com.

 

ウィリアム・ホガース William Hogarth (1697-1764)は、カリカル
チュア(戯画・風刺画)で有名な画家で、遠近法の技法にはあまり
関係なさそうに思えますが、数学者ブルック・テイラー(テーラー)
の新しい遠近法理論に関係した本の挿絵を描くなど、この技法に
は精通していたようです。

 
 

一点透視的描き方と二点透視的描き方ではどのようにイメージが
違うのか?

私が3DCGで制作(レンダリング)してみた画像と全体的には一点透
視で床面は二点透視的なバッセンの作品を一枚、下に掲載してみ
ます。

 



一点透視的画像
一点透視的画像

使用3DCGソフト:trueSpace 7.6


二点透視的画像 1
二点透視的画像

使用3DCGソフト:trueSpace 7.6


二点透視的画像 2
Japanese castle
使用3DCGソフト:Bryce 7

上の城の消失点は、下の図のようになります。

vanishing_points_R.jpg



バッセン Bartholomaus van Bassen (1590-1652) 「Renaissance Interior with Banqueters」1618-20年頃。
Bartholomaus_van_Bassen_Wiki_R.jpg
source: wikimedia commons

上の絵に描かれている室内は、奥の壁が正面を向いていまして
下の図の箱のように消失点が一点になっています。しかし
床面を見てみますと、左側3分の2を占める市松模様の
石床は角度が付いています。このような柄は、下の図
のように二点の消失点を設定して描かないと、綺麗
で規則正しく描くことは出来ないと思われます。

二点透視の床と一点透視の箱

VanishingPoint_1_2.jpg
白文字のAが箱の消失点、黒文字のa,bが床・市松模様の消失点です。

ちなみに、箱を市松模様の床と同じ方向に傾けてみた
全体が二点透視の状態は、下の図のようになります。

二点透視の床と二点透視の箱
two_vanishing_points.jpg
使用3DCGソフト:tureSpace 7.6


 

オランダにおける二点透視法の理論について

 
 

この時代までに、二点透視法の理論のことを、書いた人がいなかっ
たのか? 調べてみました。


二人いました。
一人は、
シモン・スデヴィン (ステヴァンとも、1548-1625)と言う
方です。

もう一人は、
ハンス・フレデマン・デ・フリース(1527-1607)と言う
方です。


二人とも、1604〜5年と同時期に遠近法のことを著しています。
また、これらの本は、オランダ総督であったマウリッツ(Prince Maurits of Orange)に贈呈する形で著されています。

まずは、
シモン・ステヴィンから。
ブルージュ(ベルギー)で生まれ、特にオランダで多様な実績を残
した方です。


数学、物理学、遠近法、建築学、地理学、簿記、音楽と多彩な学
問的実績を残しています。それも、実益的な技術が多かったよう
です。


上記学問分野だけではなく、軍事・政治面でも重要な役割も果た
しているようです。


現代の私達にも役だっていて、よく知られている事項を挙げてみ
ますと、下記のようなものがあります。


・数学では、十進少数を確立しています。
 現代使っている
 0.8とか0.024などの1以下の表現・10ごとに桁上がりさせる考え
 です。

 ただし、表記は現代のものとは違っていたようです。
・物理学の面では、「力の平行四辺形」を確立しています。
・簿記・会計関係では、現代の会社決算で最も重視される損益計
 算書、貸借対照表の確立に、大きく貢献しているようです。
 そのため、「近代簿記法の祖」とも言われています。

・音楽では、十二平均律を確立しています。
 難しいいですが、2の12乗根を使う考えだそうです。
変わったところでは、陸上ヨットを設計・制作して います。
帆で風を受け、動力とし、車輪を動かす乗り物です。
版画が残っていまして、大小2台の陸上ヨットが 描かれています。
(この版画の原画は、私の静物画のページで少し扱っている
 Gheyn Uが描いた絵です)


シモン・ステヴィン, Land Yacht for Prince Maurits。1603年。
Gheyn U原画、SwanenburgとSichem Tによる版画。

Land_Yacht
source: visipix.com。カットしてあります。

シモン・ステヴィン, Land Yacht for Prince Maurits, 1649年。
Simon_Stevins_LandYacht_for_Prins_Maurits_1649_wiki
source: wikipedia。年数が少したってからの版画です。

このシモン・ステヴィン(ステヴァン)の1605年の著書に
MATHEMATICORUM HYPOMNEMATUM と言うものがあります。
この中に二点透視法と考えられる図解が多数あります。

この本は、ラテン語で書かれていますが、1608年にはオランダ語
でも出版されたようです。こちらの方のタイトルは、Wiskonstighe
Ghedachtenissenです。


Webで見れるのは、ラテン語のものだけのようです。
現在の私には、文章部分の解釈がほとんど出来ません。

シモン・ステヴィンの業績を、1つ付け加えるます。
当時は、ラテン語でなければ、学術的文献とはみなされませんで
したので多くの科学的文献がラテン語で書かれていました。
これをオランダ語に翻訳し、オランダの人達に知識を広める面で
も大きな役割を果したと言います。


原典の図をそのまま掲載することが出来ませんので、私が、書き
直したものを、一図、下へ掲載致します。


シモノ・ステヴィンの綴りは、Simon Stevin(or Stevenor Stevins or
Stevinus 等です)

 



シモン・ステヴィン (Simon Stevin) の図
Simon_Steven_2PP
原典を元に、私が書いたものです。原典には主要な頂点に記号が付されて
いましたが、省略致しました。上下2図ある内の、上図は
下図・直方体の底面を求めた図と思われます。


上のシモン・ステヴィンの図中、上半分に描かれている図を
少し変形・加工しますと、下の図のような遠近感のある
市松模様が、かなり簡単に描けます。

Simon_Stevenの図の変形
変形したのは、横に伸ばしたこと。加工したのは、分割線を倍にしたことと
不要となった線の一部を消したことです。


さらに、シモン・ステヴィンのこの本には、下のような図が掲載されています。

SStevenP290C

この図も、私が原本を元に描いたもので、原本の図には、さらに
下側の足部分まで描かれていましが、上部のみ描きました。


この図の左側にはラテン語の文章が、書かれています。
文章の出だしが、 Hanc vitri imaginem というものです。
hancは、英語thisに相当するラテン語huncの体格表現vitriは、ガラ
スを意味し、imaginemは、英語のイマジン日本語の想像、推測、
推量に当たるようです。

全体としては、「このガラスで出来た像目当て器を」程度になるの
ではないでしょうか?


下へ追記したシモン・ステヴィンの文章内容から考えても、この機
材は、光景・情景を正確かつ十分に把握できるガラス製の機材で
絵を描く人のためのものと言えるようです。


この器具と同じ原理の大型の物は、1500年代の前半に、デューラ
ーによって、すでに解説されています。

また、1ページ前にAlberto Dureroと言う文章も見受けられます。
ただ、移動可能で小型と思われる物を見るのは、私としては、この
図が始めてです。

(デューラーは、ドイツ語、英語、オランダ語フランス語でAlbrecht
 Dűrerと書きますが、スペイン語では、Alberto Dureroです)


この器具は、対象物を写実的・遠近法的に捉えるのに、大変意味
のある物と言えます。

言いかえれば、この器具の額縁の様な縁のあるガラス面に写るような映
像を、目の前にないものでも、幾何学を利用していかに正確に再
現するかが、遠近法理論の役割といえます。


図の右側に、上の丸くなた板状のも物がありますが上の部の丸い
所に目を当ててガラス面を見る使用方法と推定されます。

(前のページの文章から推定して、丸い部分には孔があいていると  
 考えて間違いないようですが,観閲できた原本の図では、全体が
 黒くつぶれてしまっていて確認することが出来ませんでした)


目を当てる部分が、遠近法で言う視点にあたりガラス面が、画面・
透視面にあたります。


この器具を使用して正確に対象物を捉えようとする場合、ガラス
面に方眼状の線が入っていることと、手元で写し取るのに使用す
る紙にも同じように方眼状の線を入れておく必要があると思い
ます。

(別の方法として、ガラス面に透明に近い紙類を貼り見える情景を
 写し取る方法も、ありうるのかもしれません)


カメラ・オブスクラと言うレンズを使用した、より複雑な器具が普及
した時期が、はっきりしていないようですが、上の器具でも十分写
実的で遠近感のある絵を描けたように思います。(根気は、必要
でしょう)


             カメラ・オブスクラの例
Camera_obscura_2_wiki
wikipediaより,Stefan Kuhn氏撮影,Science Museum Londonの展示品

17世紀のオランダ絵画の中には、カメラ・オブスクラの様なレンズ
を使用して描いたのでなければ、描けないと感じる作品が何点か
ありますが、遠近法的に完成度の高い作品の多くは、カメラ・オブ
スクラの様なものではなくシモン・ステヴィンの本に掲載されてい
る図の様な器具を使用しながら描き上げたのではないか、と私に
は思えて来ました。


また、遠近法的な描写をこのような器具を利用して直接描く方法
と、卓上で幾何学的に描く方法は、片方があれば、もう片方は不
要と言うものでもではなく相補うもののように思います。


ちなみに、上の解説図、地面に接する部分まで描かれている原本
の図は、上記二点透視の理論を実践しているかのように二点透視
的で遠近感のある描き方が、なされています。

 

シモン・ステヴィンの追記:

上の機材を掲載している「7 Caput de vitro」という章の始ま
りの文章だけですが、ラテン語から英語へ、翻訳を試してみ
ましたので、下へ掲載致します。

7 Caput de vitro=第七、ガラスの章

ただ、原文のスペルのままですと、WEB翻訳でも、辞書に
よっても、該当する単語か見当たらない言葉かかなりあり
ます。

これらの単語は、近いと思われる単語に推定で置き換えて
あります。


例:Vspiam→Uspiam, sciagraphiae→scia_graphia.

修正した原文のラテン語:
Uspiam , & nisi memoria me fugit, in Alberto Durero legife memini , qui scia graphia proprietates explicare conatus, subjectum adumbratum per vitrum planum intueri, illudque, quod per vitrum cernitur, in vitro pictum esse imaginari, & sibi quasi persuadere pracipit. quod illa vera perfectaque umbra sit, & ad oculo vero conspecta. Hac umbra descriptio (qua nos, ut vitrum definiremus, permovit)

ILLUSTRISSIM PRINCPI, adeo apta visa suit, ut umbram in vitro non tantum imaginatus sit, verum etiam deformarie ac pinxerit, eque sini vitrum, cujus imago subjecta est parari jussit

翻訳した英語(google翻訳を使用):
Anywhere, and unless he has fled from me the memory of, giver of laws in Alberta Durero I remember, how you know it tried to explain the properties of the graph, the subject of the sketchy look at the plane through the glass, making it, which is seen through the glass, in the glass painter had been to imagine, and repeat the principall to persuade up to be. that that a shadow to the true and perfect, and to the eye, they stand the sight. A description of the shadow of this (by which we, that the glass be defining and move their)

The most illustrious Prince, seemed to fit so much so made a decree, as a shadow in the glass is not only pictured to himself, but also deform the painted, and, have equal bays the glass, image of which is to be prepared is subject to commands.

翻訳した英語は、文法等、おかしいかと思いますが、単語
から来るイメージで、ニュアンスがかなり分かるのではない
でしょうか。

 



ハンス・フレデマン・デ・フリース(Hans Vredeman de Vries, 1527-1607)について。

この方は、1573年にはすでに、二点透視的絵(図)を描いています。
街中に設置する井戸のデザイン集24図の中に多数認められます。
下へ1図、掲載いたします。

ハンス・フレデマン・デ・フリース、井戸の図, 1573年。
フリース 井戸の図
source: ニューヨーク・パブリック・図書館。レタッチ。


この方は、画家と言うより、建築(建物、街、庭園、廟、上記の装飾、要塞等)のデザイナー、エンジニアと言える方です。
また、オランダだけでなく、フランクフルトやプラハでも活躍したと言います。

1604〜5年に著した「Perspectia」(遠近法)と言う本には、一点透視および二点透視の遠近法が多数図解されています。
これらの図解は、画家にとっては大変に分かり易いと思われる実用的なものです。
この本は、1623年と1633年にも出版されているようですし、実用性が評価され、神聖ローマ帝国内でも広く読まれたと言います。
この本に載る図解は、70図以上ありますし、大きく明解です。

遠近法の中でも二点透視に関係した図を二枚、下へ掲載いたします。

ハンス・フレデマン・デ・フリース、「遠近法」の解説図 A
Vries_perspective_1
 著作権フリーの本を使用。レタッチ。

ハンス・フレデマン・デ・フリース、「遠近法」の解説図 B
Vries_perspective_2
 著作権フリーの本を使用。レタッチ。

話がそれますが、この方の図は、陰影のしっかりしているものが多いです。
遠近法と陰影法の両方で奥行き感・立体感を出しています。

この特徴、遠近法と光の方向がはっきりとした陰影法とが合わせ用いられている作品が多いことは、17世紀のオランダ絵画全体にも言えるように思います。
室内などでも、窓から差し込む自然な光の表現が優れています。

ただ、例外を感じるのが、レンブラントの作品です。
レンブラントの油絵の中で、テュルプ博士の解剖学講義、夜警
宗教画などの光は、かなり人工的です。
舞台などで用いるスポット・ライトを複数使用した時のような光となっていまして、主要な人物達を浮き上がらせる光・陰影の使い方がされています。

また、ハンス・フレデマン・デ・フリースのことを調べていて分かったオランダ絵画の情況があますので、下へ記載いたします。

17世紀中ごろのオランダには、650〜700人の画家がいたと言います。
作品数も多く、毎年65,000点あまりの作品が作り出されたとも言います。
これらの作品のある程度の量が外国でも販売され、制作当時から広く西欧の他国へ広がっていたようです。
他国への広がりは、絵画作品のみに限らず、画家自身が移住することも少なからずあったと言います。

(参考資料:「17〜18世紀におけるオランダ芸術とバルト海空間」
 朴a洙 著、呉美京 日本語訳。WEB上、PDF形式にてご覧にな
 れます。別資料によりますと、画家650〜700人と言う数字は
 芸術家の組合・聖ルカギルドの登録されていた人数のよ
 うです。これは、住人2,000〜3,000に1人の割合になる
 そうです


この時期、オランダがイギリスへ与えた美術上の影響について:
easel(イーゼル)、landscape(ランド・スケープ)(風景画)
sketch(スケッチ)、maulatick(腕杖)、stipple(点刻法)などの言葉は
この時期、オランダからイギリスへ伝えられた言葉であると言われて
います。(参考文献「英語発達小史」H.ブラッドリ著。私の調べでは、still life・静物画も、そうのようです)


上記以外の遠近法関係者について:

1600年の中頃にアブラハム・ボス(Abraham Bosse, 1602-1676)が、銅版画や遠近法の本を書いています。
何冊か、めくる程度に見ることが出来ました。
私には、機械製図のような解説が多いように感じられます。
現代のテクニカル・イラスト的です。
フランスの方です。

 





フェルメール Johannes Vermeer (本名:Johannes van der Meer) (1632-1675)
フェルメール2
source: wikimedia commons



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675)
フェルメール1
source: wikimedia commons



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675) 「天文学者」
フェルメール3
source: wikimedia commons



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675) 「地理学者」
VermmerKimono.gif
source: visipix.com

フェルメールと日本の着物。

この人物の着ている服は、日本の着物と思われます。

一枚上の天球儀を見ている人物の服も、そうのようです。

日本の着物は、かなりの流行になっていまして,かなりの画家
着物を着た人物を描いています男性が着ている場合が多
いです。


着物を着て、後世に残る肖像画を描いてもらうのを誇りにして
いるように思われます。


現在風にいえばカメラ目線、絵を見る人側に肖像画の人物の
目線があるような作品の多くは、着物の下に着用している洋服
が高級なもの、と思われるものです。


フランス語やスペイン語で"japon"は、"日本"を意味しますが
オランダ語で"japon"は、"着物,dressing gown"を意味していま
す。オランダ語の"日本"は、"japan"です。


上の絵の服が、着物であることを指摘している記述は、現在の
ところほとんどないようです。


私、17世紀オランダ・ベルギーでの着物の流行について調べ
ておりますが、フェルメールまでが描いているとは思っておりま
せんでした。

たまたま、"japonse rok"(japonの元語)と言う言葉でネット検索
をかけていまして気づきました。


このことに触れているホームページは、1件のみしか見つけるこ
とが出来ていません。

(このホームページは、見れなくなっています)


フェルメールは、着物を所有していたと推定されています。

当時のオランダに、前開きで、袖が広く、丈が長く、幅に余裕の
ある日本の着物に似た服が、着物とは別になかったのか?
なども調べてみておりますが、ほとんどなかったと思われます。

特に、絹のような柔らかな作りのものは、なかったようです。

隣の国ドイツを中心に、"Schaube"と言った前開きのコートがあ
り、デューラーなども描いていますが、生地は固く襟には毛皮を
あしらったものが多かったようです。

Schaube
Schaube.gif

 


ただ、着物風の服を調べていて、現在、判断できないものもあり
ます。

レンブラント銅版画で"B126 Pharisees in Temple",ユダヤ教系
の教会の様子を描いたものですが、着物風とも思える服が描
かれています。これがどのようなものなのか判断できません。

Rembrandt B126 Pharisees in Temple
Rembrandt48JewsInSynaGogueS.gif

 



日本の着物は、当初、日本・幕藩要人からの贈答品であったよ
うですが、人気がそうとうあったようで、日本での注文生産、さ
らにはインド商館での制作など、供給を増やしていったといい
ます。

また、オランダのみならず、他のヨーロッパ諸国へも販売したと
もいいます。


着物がオランダへ持ち込まれた当初は、資産家のステータス
シンボル的意味が強かったようですが、西洋の体にぴったりし
た服とは違い、くつろいで着れることと温かくもあって実用的な
面がかなりあったようです。


18世紀初め頃は、かなり普及し、一般的な人にも手が届くよう
になり、外出時にも着用されたといいます。

18世紀終わり頃には、外で着るようなこともなくなり部屋着・ガ
ウンとして定着したといわれています。


また、16から17世紀(安土桃山時代および江戸時代前期)頃
の日本の着物は、袖が、あまり大きくはなく、手の先に行くにし
たがって細くなって行く形が、かなり一般的であったと言います。

服の幅も、広めであったと言いますし、帯は細めで男女ともに
腰で結ぶのが一般的でした。

17世紀でも、寛文、元禄頃になると、袖の幅は広くなり始め
ます。


上のフェルメールの絵の人物が着ている着物は、「綿入れ」
(別名"丹前","どてら")のように見えますが、フェルメールの時
代に、日本に「綿入れ」があったかどうかはっきりしません。

オランダで中綿を入れた可能性もあるように思います。

1600年代の始め頃には、絹の端切れなどを少しだけ入れた
物はあったようですが、「綿入れ」は、ほとんどなっかと思われ
る記述が残っています。


1600年代後期・元禄頃には、着物としての「綿入れ」はあった
ようですし、江戸時代後半には、相当に一般的になっているよ
うです。


着物とは言えないのですが、着物と同じ形をしていて中綿を入
れた物に
「夜着・よぎ」と言う、袖も襟もある寝具・ふとんが、あ
ります。


この「夜着」の類は、室町時代からとも、1600年代の初め頃から
とも、言われています。

いわゆる「かいまき・搔巻」の類です。
掛け布団として使いますが、肩が、すっぽりと入りなかなか温か
いものです。


着物と夜着の形の違いは、夜着の方が袖が長い程度のよう
です。


下の写真は、徳川綱吉(1646-1709 将軍:1680-1709)の
寝間着と伝えられている物です。フェルメールの描いた
着物に襟などの形が、よく似ているように思われます。

KimonoTsunayoshiNemaki.gif
「日本歴史考古学」後藤守一著、昭和12年より。

同時代の日本の絵、1650年松浦屏風(婦女遊楽図左),岩佐又兵衛(1578-1650)。

MatuuraByoubu1650L.gif

source: wikimedia commons


 2011年9月24日追記:すでに17世紀前半には「綿入れ」が有り
 かなり普及していたと言える資料がありました。

 ジョアン・ロドリーゲスの「日本教会史」です。

 この本には、綿入れとしての詰め物に、真綿(絹の屑)と木綿が
 あったこと、庶民用には木綿が用いられこと、木綿や麻の布に
 綿を詰めた物を「布子(ぬのこ)」と呼んだことなどが書かれて
 います。また、木綿の急速な普及についても書かれています。

 (
参考にした本は、岩波書店、大航海時代叢書 \ 日本教会史です)


着物についての別の話を、"ヤン・ステーン"及ぶ"続編"に記述
しております。


過去、オランダを中心とした日本の着物の流行について日本に
紹介記述されている方は、私の知る限り、クライナー・ヨーゼフ
(Josef Kreiner)氏、ただ一人だけのように思われます。

(2008年7月)


日本の着物の話だけを、1ページにまとめたページも、作りました。
下をクリックしていただくと、別ウィンドウで開きます。

OrandaKimonoTitleBB.gif



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675)
フェルメール5
source: wikimedia commons



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675)
フェルメール6
source: wikimedia commons



フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675)
フェルメール7
source: wikimedia commons





コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)
Cuyp1
source: wikimedia commons



コイプ AelbertCuyp (1620-1691)
Cuyp2

source: wikimedia commons



コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)
Cuyp3
source: wikimedia commons



コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)
Cuyp4
source: wikimedia commons





コーニンク Philps Koninck (1619-1688)
Koninck1
source: wikimedia commons





ロイスダール Jacob van Ruisdael (1628-1682)
ロイスダール1
source: visipix.com




Borssum


Anthonie van Borssum (1630or1631-1677)
Borssum
source: wikimedia commons




OrandaGakaNamaeSteen.gif

ステーン Jan Steen (1629-1679)
Steen1
source: wikimedia commons



ステーン Jan Steen (1629-1679)
Steen5860Oysters.gif
フリーソースを使用



ステーン Jan Steen (1629-1679)
Steen3
source: wikimedia commons

この方は、生活画の巨匠と言える方です。別に1ページ作りました。

リンク・ボタンはこのページの最下段にがあります。






テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium
テニエルス1
source: visipix.com



テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium
テニエルス2
source: wikimedia commons



テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium
テニエルス3
source: wikimedia commons



テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium
テニエルス4
source: wikimedia commons
ほかの絵と比べて異質な感じのする絵です。このテニールスという方は
農民の生活描写に本領を発揮した人ですが、1645年頃以降、南部
ネーデルランドの支配者レオポルド・ウイリアム大公の宮廷画家
でもありました。上の絵左よりの帽子をかぶった人がウイリアム
大公のようです。こに時期、北部ネーデルランド地域は
独立して、共和制になっています。

ここに描かれている画中画は、全部で50枚あります。
7枚が所在不明のようですが、43枚は現存する作品
です。37枚がウイーン美術史美術館の所蔵品
です。イタリア系の貴重絵画ばかりです。
(越宏一氏の記述を参照しました)





オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)
オスターデCottge
source: wikimedia commons



オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)
Ostade1
source: wikimedia commons



オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)
Ostade2
source: wikimedia commons



オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)
Osyade3
source: wikimedia commons





ホーホ(フーフ) Pietter de Hooch (1629-1684)
フーフ
source: visipix.com



ホーホ(フーフ) Pietter de Hooch (1629-1684)
フーフ2
source: visipix.com
ホーホ(フーフ)の描いた上2枚の絵は、1600年代の絵には思えない近代的な
感じのする絵です。近代的な印象を与える原因は、大きなガラス窓
レンガ造りの外壁、床に張られた大きな石かタイルにあるように
思います。フェルメールも同じような情景を描いています。
この時代、オランダの都会には、レンガや大きなガラスが
かなり 普及していたようです。ただ、これらの物
ヨーロッパでも量産が出来初めたばかり
の物のように思われます。
ホーホやフェルメールの描いた
絵画には、当時としては、他の地域や
国にはあまりなかった、超モダンな情景
を描いたものが、かなりあるように思われます。

蛇足:窓ガラスは、日本へ1638年には入って来ていたようです。
「東インド会社が1638年に日本にもたらした商品の覚書」に
窓ガラス300枚の項目があります。
(「平戸オランダ商館の日記」より)





ファブリツィウス Carel Fabritius (1614-1654)
レンブラント1
source: wikimedia commons



ファブリツィウス Carel Fabritius (1614-1654)
レンブラント2
source: wikimedia commons
この作品は、写真で言えば超広角レンズで撮影したものと同じ構図です。
広角度の左右が、圧縮されて描かれています。構図を決めるために
何らかの方法で、レンズが使用されたと推定されています。




レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669)
レンブラント人物1
昭和24年の刊行本を使用
(杖の部分に薄く書かれたものがありましたが消しました)


上の絵は、wikimedia commonsなどに掲載されていつものを多く利用しています。
(サイズ変更,コントラスト調整,gif形式への変換を行っています)


より多くの絵をご覧になりたい方は、wikimedia commons のページ内で
検索欄へ、上に掲載の作者の名前をコピー&ペーストしてみて下さい。
[例:Philps Koninck (1619-1688)の場合は、Koninckのみ。]
同一作家の別の作品がご覧になれます。また、レンブラントの作品は
宗教色の強い作品も多いです。レンブラントの作品内で傑出している
分野に銅版画がありますが、少しずつ掲載出来るようにして行きたいと
考えています。17世紀のオランダが絵画を含め黄金期と呼ばれ独自の
優れた絵画を排出したのには、政治情勢が強く影響しているようです。
独立、貿易大国、多民族・多宗教などが関係しているようです。
18世
紀近くになると、イギリス、フランスが強くなり、独自性をだんだんと
失っていったと言われています。もう一つ付け加えますとオランダ絵画
が残した作品には肖像画も沢山あります。日本でも江戸時代後半に数多
くの肖像画を描き残した方たちがいます。谷文晁および門人の渡辺崋山
や椿椿山達です。また、谷文晁、渡辺崋山は、シンプルな素描風の風景
画も残していますが、特に渡辺崋山の「四州真景図巻」はレンブラント
の風景素描・版画と似たところがあります。谷文晁が洋画技法で風景画
や静物画を描いたことは、よく知られているところでもあります。彼ら
江戸時代の画家が、どこまでオランダ絵画から影響を受けたかははっき
りしませんが、共通するところが多くあるように思われます。


17世紀オランダ風景画を見まして感じます特徴は、描いた対象が身近な
建物、海、半加工された自然などであることです。この辺は、東洋の山 水
画とは違います。山水画では、描かれる山、川、海などが未加工の自然の
ままで、「仙」や「隠遁」などの感覚です。もう一つの特徴が視点が低い
ことです。俯瞰的な視点がほとんどありません。この視点の低さは17世
紀オランダ絵画の際立った、重要な特徴のように思います。


1672年、オランダとイギリスの海戦。
sea_fight_N_E_1672.gif
1893年の刊行本より。

少し長くなりますが、オランダ17世紀 の絵画とその環境を
ブルクハント著鈴木成高訳「レンブラント」昭和24年より
一部引用し、ご紹介いたしす。
(内容は、ブルクハント氏が1877年に行った講演のものです)

オランダにおいては、17世紀の芸術がまさに始まろうとするとき
そこには白紙の自由さがあった。と同時にまた寄辺のない心細さが あった。
オレンジ公は芸術のことなぞ一切還りみようとはしなかったし
またカルビン派の教会は絵画とはおよそ無縁のものであった。
ただわずかに裕福なる市民が絵画の味方となって、注文を出したり
買い上げたりするというだけにすぎなかったのである。
民兵団や町方役人たちの群像画祭の催しのようなものも、半官
半民というか、あるいはむしろ個人注文の部類に属するもので
あって、各人がめいめい画面の中に登場している自分の肖像に
たいして揮毫料を支払うといったような仕組みになっていた。
ドゥーレン画だとかレゲント画だとかいうものは、すなわち
そういったものである。
そのほか各種の絵画、すなわち聖書物語や神話物語、肖像画
風俗画,海洋画、あるいは各種静物画等等も、すべて専ら個人の
住宅のなかに飾られておった。
そのほかに当時のひちびとのあいだには銅版画を集める風習が
あった。
総じてオランダ人がもっている蒐集癖は、芸術にとってはよい
味方であったといえる。
同様にまた気象が幸いしたという面もあったであろう。
それはひとびとをして一年の大半を屋内にとどまらしめる。
外観は概ね質素なこれらの住居を内部において飾るということが
いまや圧倒的な趣味となっていったのであった。

けだし当時のオランダは、ヨーロッパ中のどこの国よりも強盛かつ
富裕な国となった。(注:貿易大国の意味だと思います)

のみならずかの戦慄すべき死活の戦(注:スペインからの独立戦争)
を見事に戦い抜いた後において、それはもはやこの地球上の何者から
も何事をも学ぼうとしない、生活のあらゆる面に固有のものをどこま
でも護り通そうとする誇り高き民族となっていた。
過去の時代からの、また外来的なものからの影響で、ひとがなを
そのもとに追従していたものはといえば、聖書が唯一のものであり
また古典文学がある程度そうであっただけにとどまる。
その他一切のものは、思想においても生活様式においても
ことごとく純粋に国民的なるものであった。

芸術もまた同様に、すでに腐朽せる前世紀の諸伝統を篩い落とした
のちにおいて、いまや完全に国民的なものとなりつつあったのだ。
ひとはただオランダを、その人間を、その禽獣を、その風景をのみ
描こうとしておった。
ただそれらのすべてがより完全なものに、より卓れたものになろうと
していただけなのであった。




静物画の全体と部分を数枚ご覧下さい。

ヘーム Jan Davidsz Heem(1606-1683)Belgium

ヘーム静物画
source: visipix.com
上の絵に描かれている蝶は、日本の蝶に似ています。この文字のすぐ上の蝶は
「キアゲハ」で、画面左上の蝶は「クジャクチョウ」,中段の右側は
「タテハかセセリ」類で、中段よりやや下左側は「クモマツマキ
チョウ」ではないか思います。また、花では「朝顔」が
描かれています。息子の作品には「アジサイ」
と思われる花も描かれています。

下の絵はヘームなどの作品の部分です。間違いなく日本にも生息する蝶たちですね。
「キアゲハ」、「モンシロチョウ」、「モンキチョウ」と「(スジホソ?)ヤマキチョウ」です。
すべて、たいへん精密・正確に描かれています。(ただ、これらの蝶の中には同種
の蝶がヨーロッパにも生息しているようなので、日本の蝶を描いたものとは安易に
言えませんが、日本的でない蝶が見あたらないのは確かです)
日本の蝶
ヘームの絵には、蝶のほかバッタやトンボを描いたものもありますが
現在、私に見ているものでは鮮明さがなく、日本に生息するものなの
かどくか判断できない状態です。どちらにしてもヘームたちの描いた
静物画は、オランダに普通にあったものではなく、非日常的な動植物
を多く取り入れて描かれていることは、間違いないようです。

今度は花の話です。中央の花は「アジサイ」ではないでしょうか?

source: visipix.com

園芸の本によりますと「西洋アジサイ」は、「日本のア ジサイが
中国を通じて1789年ごろにヨーロッパに渡り、品種改良が行われ
たもの」と書かれています。上の絵中央の花が「アジサイ」だと
すると、園芸本の話より100年前後前に、絵には登場していること
になります。このアジサイと思われる花は息子のコルネリス・デ
ヘーム(1631-1695)が描いたものです。

さらに、時代が下って 1804年にコルネリス・スパエンドンクが
描いた静物画に描かれ ているものは、ほぼ間違いなくアジサイとい
えます。すへて花の 色は白です。
注)アジサイと思われる花は、アジサイに良く似たオオデマリ系で
ある可能性が高くなりました。(2008/06/29)

この花の左上、網目状の外袋をもった果実はホオズキでしょうか。
がくである外袋が、脈のみとなったように見えます。ただ、ホオズ
キは、東洋だけのものではなく、アメリカにも多いようです。英名
Chinese lantern plante,オランダ名 Paieren lantaarn,lampion。

冬に撮影したホオズキ。
ホオズキ
2010/1/5 撮影。


また、上の絵の中には、縞柄のチューリップが描かれていますが
「チューリップ熱狂時代(1634〜1637年,異常投機時代)」のあと
20年程度たってから描かれたものです。もう一つ付け加えます
と、縞模様の入ったチューリップは綺麗に見えますがウイルス性
の病気だそうです。このことは20世紀に入って分かったことだそ
うです。(園芸本=講談社園芸大百科事典)



写真:白みの強いアジサイ、2007/07/07撮影。

追記:蝶を描いたものは、ヤン・ブリューゲル(父、1568-1625)の
1600年代に入ってからの絵にもありました。ちょうどオランダが
日本方面との貿易を始めた時期ともかさなりますので、もう少し調べ
て行きたいと思います。(ネットで調べてみた範囲では、このへんの
事情を解説しているものが見当たりません)

ヤン・ブリューゲル(父) Jan Brueghel(1568-1625) 静物画部分

ヤンブリューゲル静物画部分
source: visipix.com

注:ヤン・ブリュゲール(父)は、「農民の踊り」「雪中の狩人」「バベルの塔」 などで
高名なピーテリ・ブリュゲール(1825/30-1569)の二男にあたる人です。

蝶が描かれている作品が、ある程度集まりましたので、御覧ください。

蝶のいる静物画



ユーモラスな絵がありましたのでこちらも ご覧下さい。

A.pzn.van der Venne (1589-1662)   「スケートをするフクロウ」
VenneSkatingOwls
source: visipix.com



続編・VOLUMEUも制作いたしました。さらに50枚ほどの風景・生活画がご覧いただけます。
Zokuhen.gif SiberechtsFarmyardDT.gif
レンブラントの版画・素描作品を掲載したページです。
レンブラントのページへ RembrandtLS1300.gif
ヤン・ステーン、ユーモラスで屈託のない絵は見事です。
OrandaGakaNamaeSteen2.gif Steen6162DoctorsVisit300.gif
明るく爽やかな風景画を描いた、画家ヨース・デ・モンペルの作品集。
モンペルのページへ MonMeadow300.gif




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