17世紀のオランダが生んだ『市民的家庭生活がテーマ』となった
絵画をご紹介す
るウェブ・
ギャラリーです。
写真風にいえば『生活のスナップショット』


J.Velde source: visipix.com
17世紀のオランダは、ほかの西洋の国々にはない特異な名画
を数多く描き残しています。私にとっては、日本の遠近法への
影響に関連して調べてみまして、初めて知ったことです。
一般に、西洋での風景画の誕生は、近代になってからとされています。
また、庶民的な人物が登場する絵画も近代までは、まれです。王族や
貴族、僧侶、キリスト、マリア、新・旧聖書、ギリシャ神話などがほとんどです。
17世紀のオランダは、このまれな風景や庶民的な絵画を残しています。
それも、宗教色をほとんど感じさせないものです。有名なレンブラントや
フェルメールだけではなく、この方たち以外にもたくさんの人たちが風景
画・風俗画を描いています。(近代とは産業革命・フランス革命以降と
いう意味で使用しています。18世紀末頃から。)(現在のベルギー
も含めてあつかっております)
現在は、wikimedia commons などで提供されている絵をおもに
利用させていただき、ご紹介いたします。また、タイトルに
生活画という言葉を使いましたが、風俗画の意味です。
ただ、最近では風俗という言葉があまりよい意味で
使われないために、この言葉を使用しました。
多少の解説・静物画の小考察は、このページ下段に掲載いたしました。
17世紀ヨーロッパの状況(1648年頃)

source: wikimedia commons
ブラウ
Blaeuの地図 1652年 「アムステルダム」

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レンブラントRembrandt
van
Rijn
(1606-1669)

REMBRANDT'S ETCHINGS METHUEN AND CO.LTD 1912年本を使用。
レンブラントRembrandt van
Rijn
(1606-1669)

REMBRANDT'S ETCHINGS METHUEN AND CO.LTD 1912年本を使用。
フェルデ Jan van de Velde (1593-1641)

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ホッペマ Meindert Hobbema(1638
-
1709) 「田舎道」

source:
wikimedia commons
ホッペマ Meindert Hobbema(1638-
1709)

source: wikimedia commons
ホッペマ Meindert Hobbema(1638-
1709)

source: wikimedia commons
ホッペマ Meindert Hobbema(1638-
1709)

source: wikimedia commons

アーフェルカンプ Hendrick Avercamp(1585-1663)

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水彩画と思われます。
ヤン・ライケンと息子著・画「人の職業」1694年初版出版
スケート靴職人

オランダのフリーソースを使用。レタッチ処理。

ネール Aart van de Neer(1603-
1677)

source: wikimedia commons
ネール Aart van de Neer(1603-
1677)

source:wikimedia commons

ホイエン(ゴイエン) Jan van Goyen(1596-
1656)

source: visipix.com
ホイエン(ゴイエン) Jan van Goyen(1596-
1656)

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ベルクハイデ G.A.Berckheyde (1638-1698)

source: wikimedia commons
ベルクハイデ G.A.Berckheyde (1638-1698)

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ベルクハイデ G.A.Berckheyde
(1638-1698)

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上の絵、中央の教会にそびえる塔によく似た1910年ごろの写真が
ありますので、下へ掲載いたします。上の絵の場所は、ハールレム
下に写真は、デルフトです。
1910年ごろのデルフト市

source: 世界写真帖1911年

フェルメール Johannes
Vermeer (本名:Johannes van der Meer)
(1632-1675)

source: wikimedia commons
フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675)

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フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675) 「天文学者」

source:
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フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675) 「地理学者」

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フェルメールと日本の着物。
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この人物の着ている服は、日本の着物と思われます。
一枚上の天球儀を見ている人物の服も、そうのようです。
日本の着物は、かなりの流行になっていまして,かなりの画家が
着物を着た人物を描いています。
男性が着ている場合が多いです。
着物を着て、後世に残る肖像画を描いてもらうのを、誇りにして
いるように思われます。
現在風にいえばカメラ目線、絵を見る人側に肖像画の人物の
目線があるような作品の多くは、着物の下に着用している洋服が
高級なもの、と思われるものです。
フランス語やスペイン語で"japon"は、"日本"を意味しますが
オランダ語で"japon"は、"着物,dressing gown"を意味しています。
オランダ語の"日本"は、"japan"です。
上の絵の服が、着物であることを指摘している記述は、現在のとこ
ろほとんどないようです。
私、17世紀オランダ・ベルギーでの着物の流行について調べてお
りますが、フェルメールまでが描いているとは思っておりません
でした。
たまたま、"japonse rok"(japonの元語)と言う言葉で、ネット検索をかけていまして気づきました。
このことに触れているホームページは、1件のみしか見つける
ことが出来ていません。
このことに触れているホームページは、下記です。
(8月27日追記、このホームページは見れなくなっています)
http://www.johannesvermeer.info/verm/house/hz-japonserok-eng.htm
フェルメールは、着物を所有していたと推定されています。
当時のオランダに、前開きで、袖が広く、丈が長く、幅に余裕の
ある日本の着物に似た服が、着物とは別になかったのか?なども
調べてみておりますが、ほとんどなかったと思われます。
特に、絹のような柔らかな作りのものは、なかったようです。
隣の国ドイツを中心に、"Schaube"と言った前開きのコートがあり、
デューラーなども描いていますが、生地は固く、襟には毛皮を
あしらったものが多かったようです。
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Schaube
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ただ、着物風の服を調べていて、現在、判断できないものも
あります。
レンブラント銅版画で"B126 Pharisees in Temple",ユダヤ教系の
教会の様子を描いたものですが、着物風とも思える服が描かれて
います。これがどのようなものなのか、判断できません。
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Rembrandt B126 Pharisees in Temple
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日本の着物は、当初、日本・幕藩要人からの贈答品であったようで
すが、人気がそうとうあったようで、日本での注文生産、さらには
インド商館での制作など、供給を増やしていったといいます。
また、オランダのみならず、他のヨーロッパ諸国へも販売したとも
いいます。
着物がオランダへ持ち込まれた当初は、資産家のステータス
シンボル的意味が強かったようですが、西洋の体にぴったりした
服とは違い、くつろいで着れることと、温かくもあって実用的な
面がかなりあったようです。
18世紀初め頃は、かなり普及し、一般的な人にも手が届くようになり、外出時にも着用されたといいます。
18世紀終わり頃には、外で着るようなこともなくなり、部屋着・
ガウンとして定着したといわれています。
また、16から17世紀(安土桃山時代および江戸時代前期)頃の
日本の着物は、袖が、あまり大きくはなく、手の先に行くに
したがって細くなって行く形が、かなり一般的であった
と言います。
服の幅も、広めであったと言いますし、帯は細めで男女ともに
腰で結ぶのが一般的でした。
17世紀でも、寛文、元禄頃になると、袖の幅は広くなり始め
ます。
上のフェルメールの絵の人物が着ている着物は、「綿入れ」
(別名"丹前","どてら")のように見えますが、フェルメールの
時代に、日本に「綿入れ」があったかどうかはっきりしません。
オランダで中綿を入れた可能性もあるように思います。
1600年代の始め頃には、絹の端切れなどを少しだけ入れた
物はあったようですが、「綿入れ」は、ほとんどなっかと
思われる記述が残っています。
1600年代後期・元禄頃には、着物としての「綿入れ」は
あったようですし、江戸時代後半には、相当に一般的になって
いるようです。
着物とは言えないのですが、着物と同じ形をしていて、中綿を
入れた物に「夜着・よぎ」と言う、袖も襟もある
寝具・ふとんが、あります。
この「夜着」の類は、室町時代からとも、1600年代の初め頃から
とも、言われています。
いわゆる「かいまき・搔巻」の類です。
掛け布団として使いますが、肩が、すっぽりと入り
なかなか温かいものです。
着物と夜着の形の違いは、夜着の方が袖が長い程度のようです。
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下の写真は、徳川綱吉(1646-1709 将軍:1680-1709)の
寝間着と伝えられている物です。フェルメールの描いた着物に
襟などの形が、よく似ているように思われます。 |

「日本歴史考古学」後藤守一著、昭和12年より。
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同時代の日本の絵、1650年松浦屏風(婦女遊楽図左),岩佐又兵衛(1578-1650)。 |
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source: wikimedia commons |
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着物についての別の話を、"ヤン・ステーン"及ぶ"続編"に記述して
おります。
過去、オランダを中心とした日本の着物の流行について
日本に紹介、記述されている方は、私の知る限り、
クライナー・ヨーゼフ(Josef Kreiner)氏、
ただ一人だけのように思われます。 |
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(2008年7月)
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日本の着物の話だけを、1ページにまとめたページも、作りました。
下をクリックしていただくと、別ウィンドウで開きます。

フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675)

source: wikimedia commons
フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675)

source: wikimedia commons
フェルメール Johannes Vermeer
(1632-1675)

source: wikimedia commons

コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)

source: wikimedia commons
コイプ AelbertCuyp (1620-1691)

source: wikimedia commons
コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)

source: wikimedia commons
コイプ Aelbert Cuyp (1620-1691)

source: wikimedia commons

コーニンク Philps Koninck (1619-1688)

source: wikimedia commons

ロイスダール Jacob van Ruisdael
(1628-1682)

source: visipix.com

Anthonie van Borssum (1630or1631-1677)

source: wikimedia commons

ステーン Jau Steen (1629-1679)

source: wikimedia commons
ステーン Jau Steen (1629-1679)

フリーソースを使用
ステーン Jau Steen (1629-1679)

source: wikimedia commons
この方は、生活画の巨匠と言える方です。別に1ページ作りました。
リンク・ボタンはこのページの最下段にがあります。

テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium

source: visipix.com
テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium

source: wikimedia commons
テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium

source: wikimedia commons
テニエルス(テニールス) David Teniers (1610-1690) Belgium

source: wikimedia commons
ほかの絵と比べて異質な感じのする絵です。このテニールスという方は
農民の生活描写に本領を発揮した人ですが、1645年頃以降、南部
ネーデルランドの支配者レオポルド・ウイリアム大公の宮廷画家
でもありました。上の絵左よりの帽子をかぶった人がウイリアム
大公のようです。こに時期、北部ネーデルランド地域は
独立して、共和制になっています。
ここに描かれている画中画は、全部で50枚あります。
7枚が所在不明のようですが、43枚は現存する作品
です。37枚がウイーン美術史美術館の所蔵品
です。イタリア系の貴重絵画ばかりです。
(越宏一氏の記述を参照しました)

オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)

source: wikimedia commons
オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)

source: wikimedia commons
オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)

source: wikimedia commons
オスターデ Adriaen van Ostade (1610-1685)

source: wikimedia commons

ホーホ(フーフ) Pietter de Hooch (1629-1684)

source: visipix.com
ホーホ(フーフ) Pietter de Hooch (1629-1684)

source: visipix.com
ホーホ(フーフ)の描いた上2枚の絵は、1600年代の絵には思えない近代的な
感じのする絵です。近代的な印象を与える原因は、大きなガラス窓
レンガ造りの外壁、床に張られた大きな石かタイルにあるように
思います。フェルメールも同じような情景を描いています。
この時代、オランダの都会には、レンガや大きなガラスが
かなり
普及していたようです。ただ、これらの物
ヨーロッパでも量産が出来初めたばかり
の物のように思われます。
ホーホやフェルメールの描いた
絵画には、当時としては、他の地域や
国にはあまりなかった、超モダンな情景
を描いたものが、かなりあるように思われます。
蛇足:窓ガラスは、日本へ1638年には入って来ていたようです。
「東インド会社が1638年に日本にもたらした商品の覚書」に
窓ガラス300枚の項目があります。
(「平戸オランダ商館の日記」より)

ファブリツィウス Carel Fabritius (1614-1654)

source: wikimedia commons
ファブリツィウス Carel Fabritius (1614-1654)

source: wikimedia commons
この作品は、写真で言えば超広角レンズで撮影したものと同じ構図です。
広角度の左右が、圧縮されて描かれています。構図を決めるために
何らかの方法で、レンズが使用されたと推定されています。
レンブラント Rembrandt van Rijn (1606-1669)

昭和24年の刊行本を使用
(杖の部分に薄く書かれたものがありましたが消しました)
上の絵は、wikimedia
commonsなどに掲載されていつものを多く利用しています。
(サイズ変更,コントラスト調整,gif形式への変換を行っています)
より多くの絵をご覧になりたい方は、wikimedia commons のページ内で
検索欄へ、上に掲載の作者の名前をコピー&ペーストしてみて下さい。
[例:Philps Koninck (1619-1688)の場合は、Koninckのみ。]
同一作家の別の作品がご覧になれます。また、レンブラントの作品は
宗教色の強い作品も多いです。レンブラントの作品内で傑出している
分野に銅版画がありますが、少しずつ掲載出来るようにして行きたいと
考えています。17世紀のオランダが絵画を含め黄金期と呼ばれ独自の
優れた絵画を排出したのには、政治情勢が強く影響しているようです。
独立、貿易大国、多民族・多宗教などが関係しているようです。18世
紀近くになると、フランスからの影響も強くなり、独自性をだんだんと
失っていったと言われています。もう一つ付け加えますとオランダ絵画
が残した作品には肖像画も沢山あります。日本でも江戸時代後半に数多
くの肖像画を描き残した方たちがいます。谷文晁および門人の渡辺崋山
や椿椿山達です。また、谷文晁、渡辺崋山は、シンプルな素描風の風景
画も残していますが、特に渡辺崋山の「四州真景図巻」はレンブラント
の風景素描・版画と似たところがあります。谷文晁が洋画技法で風景画
や静物画を描いたことは、よく知られているところでもあります。彼ら
江戸時代の画家が、どこまでオランダ絵画から影響を受けたかははっき
りしませんが、共通するところが多くあるように思われます。
17世紀オランダ風景画を見まして感じます特徴は、描いた対象が身近な
建物、海、半加工された自然などであることです。この辺は、東洋の山
水
画とは違います。山水画では、描かれる山、川、海などが未加工の自然の
ままで、「仙」や「隠遁」などの感覚です。もう一つの特徴が視点が低い
ことです。俯瞰的な視点がほとんどありません。この視点の低さは17世
紀オランダ絵画の際立った、重要な特徴のように思います。
少し長くなりますが、オランダ17世紀
の絵画とその環境を
ブルクハント著鈴木成高訳「レンブラント」昭和24年より
一部引用し、ご紹介いたしす。
(内容は、ブルクハント氏が1877年に行った講演のものです)
オランダにおいては、17世紀の芸術がまさに始まろうとするとき
そこには白紙の自由さがあった。と同時にまた寄辺のない心細さが
あった。
オレンジ公は芸術のことなぞ一切還りみようとはしなかったし
またカルビン派の教会は絵画とはおよそ無縁のものであった。
ただわずかに裕福なる市民が絵画の味方となって、注文を出したり
買い上げたりするというだけにすぎなかったのである。
民兵団や町方役人たちの群像画祭の催しのようなものも、半官
半民というか、あるいはむしろ個人注文の部類に属するもので
あって、各人がめいめい画面の中に登場している自分の肖像に
たいして揮毫料を支払うといったような仕組みになっていた。
ドゥーレン画だとかレゲント画だとかいうものは、すなわち
そういったものである。
そのほか各種の絵画、すなわち聖書物語や神話物語、肖像画
風俗画,海洋画、あるいは各種静物画等等も、すべて専ら個人の
住宅のなかに飾られておった。
そのほかに当時のひちびとのあいだには銅版画を集める風習が
あった。
総じてオランダ人がもっている蒐集癖は、芸術にとってはよい
味方であったといえる。
同様にまた気象が幸いしたという面もあったであろう。
それはひとびとをして一年の大半を屋内にとどまらしめる。
外観は概ね質素なこれらの住居を内部において飾るということが
いまや圧倒的な趣味となっていったのであった。
けだし当時のオランダは、ヨーロッパ中のどこの国よりも強盛かつ
富裕な国となった。(注:貿易大国の意味だと思います)
のみならずかの戦慄すべき死活の戦(注:スペインからの独立戦争)
を見事に戦い抜いた後において、それはもはやこの地球上の何者から
も何事をも学ぼうとしない、生活のあらゆる面に固有のものをどこま
でも護り通そうとする誇り高き民族となっていた。
過去の時代からの、また外来的なものからの影響で、ひとがなを
そのもとに追従していたものはといえば、聖書が唯一のものであり
また古典文学がある程度そうであっただけにとどまる。
その他一切のものは、思想においても生活様式においても
ことごとく純粋に国民的なるものであった。
芸術もまた同様に、すでに腐朽せる前世紀の諸伝統を篩い落とした
のちにおいて、いまや完全に国民的なものとなりつつあったのだ。
ひとはただオランダを、その人間を、その禽獣を、その風景をのみ
描こうとしておった。
ただそれらのすべてがより完全なものに、より卓れたものになろうと
していただけなのであった。
|
静物画の全体と部分を数枚ご覧下さい。
ヘーム Jan Davidsz Heem(1606-1683)Belgium

source: visipix.com
上の絵に描かれている蝶は、日本の蝶に似ています。この文字のすぐ上の蝶は
「キアゲハ」で、画面左上の蝶は「クジャクチョウ」,中段の右側は
「タテハかセセリ」類で、中段よりやや下左側は「クモマツマキ
チョウ」ではないか思います。また、花では「朝顔」が
描かれています。息子の作品には「アジサイ」
と思われる花も描かれています。
下の絵はヘームなどの作品の部分です。間違いなく日本にも生息する蝶たちですね。
「キアゲハ」、「モンシロチョウ」、「モンキチョウ」と「(スジホソ?)ヤマキチョウ」です。
すべて、たいへん精密・正確に描かれています。(ただ、これらの蝶の中には同種
の蝶がヨーロッパにも生息しているようなので、日本の蝶を描いたものとは安易に
言えませんが、日本的でない蝶が見あたらないのは確かです)

ヘームの絵には、蝶のほかバッタやトンボを描いたものもありますが
現在、私に見ているものでは鮮明さがなく、日本に生息するものなの
かどくか判断できない状態です。どちらにしてもヘームたちの描いた
静物画は、オランダに普通にあったものではなく、非日常的な動植物
を多く取り入れて描かれていることは、間違いないようです。
今度は花の話です。中央の花は「アジサイ」ではないでしょうか?

source: visipix.com
園芸の本によりますと「西洋アジサイ」は、「日本のア
ジサイが
中国を通じて1789年ごろにヨーロッパに渡り、品種改良が行われ
たもの」と書かれています。上の絵中央の花が「アジサイ」だと
すると、園芸本の話より100年前後前に、絵には登場していること
になります。このアジサイと思われる花は息子のコルネリス・デ
ヘーム(1631-1695)が描いたものです。
さらに、時代が下って
1804年にコルネリス・スパエンドンクが
描いた静物画に描かれ
ているものは、ほぼ間違いなくアジサイとい
えます。すへて花の
色は白です。
注)アジサイと思われる花は、アジサイに良く似たオオデマリ系で
ある可能性が高くなりました。(2008/06/29)
この花の左上、網目状の外袋をもった果実はホオズキでしょうか。
がくである外袋が、脈のみとなったように見えます。ただ、ホオズ
キは、東洋だけのものではなく、アメリカにも多いようです。英名
Chinese lantern plante,オランダ名 Paieren lantaarn,lampion。
wikipediaの「ホオズキ」に掲載されている写真

2008/2/10追加。写真をアップられた方の
庭で撮影したと書かれています。
また、上の絵の中には、縞柄のチューリップが描かれていますが
「チューリップ熱狂時代(1634〜1637年,異常投機時代)」のあと
20年程度たってから描かれたものです。もう一つ付け加えます
と、縞模様の入ったチューリップは綺麗に見えますがウイルス性
の病気だそうです。このことは20世紀に入って分かったことだそ
うです。(園芸本=講談社園芸大百科事典)

写真:白みの強いアジサイ、2007/07/07撮影。
追記:蝶を描いたものは、ヤン・ブリューゲル(父、1568-1625)の
1600年代に入ってからの絵にもありました。ちょうどオランダが
日本方面との貿易を始めた時期ともかさなりますので、もう少し調べ
て行きたいと思います。(ネットで調べてみた範囲では、このへんの
事情を解説しているものが見当たりません)
ヤン・ブリューゲル(父) Jan
Brueghel(1568-1625) 静物画部分

source: visipix.com
注:ヤン・ブリュゲール(父)は、「農民の踊り」「雪中の狩人」「バベルの塔」
などで
高名なピーテリ・ブリュゲール(1825/30-1569)の二男にあたる人です。
蝶が描かれている作品が、ある程度集まりましたので、御覧ください。

ユーモラスな絵がありましたのでこちらも
ご覧下さい。
A.pzn.van der Venne (1589-1662)
「スケートをするフクロウ」

source: visipix.com
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続編・VOLUMEUも制作いたしました。さらに50枚ほどの風景・生活画がご覧いただけます。 |
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レンブラントの版画・素描作品を掲載したページです。 |
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| ヤン・ステーン、ユーモラスで屈託のない絵は見事です。 |
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| 明るく爽やかな風景画を描いた、画家ヨース・デ・モンペルの作品集。 |
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メールアドレス:hatuzawainfo@mail.goo.ne.jp

制作・責任:安藤 勇
