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17世紀から18世紀にかけて、オランダを中心に西欧におきた着物の流行。
着物の流行は、1650年頃から目立ちはじめ、17世紀末頃には
オランダ以外の国にも広まっています。

当ページは、17世紀オランダの風景画と生活画、本編、続編、ヤン・ステーンの3 ページに
またがって記述している内容を、1ページにまとめ、ある程度補足したものです。

日本・中国から陶磁器 漆器が西欧に渡り、珍重がられたことは
よく知られているところですが、日本の着物に人気があったことは
あまり知られていないように思われます。また、この流行に
ついて日本で記述しているものも、ほとんどないように
思われます。私の知る限りクライナー・ヨーゼフ氏が
図録「ケンペル展」に記述されている程度です。

このページで私が新たに試みているのは、おもに 当時のオランダ
西欧絵画に描かれている着物を ご紹介することです。
絵を見ていただくだけでも、着物の流行が
相当であったことが分ると思います。

(リンク先の映像もご覧ください)

着物の流れ・流行につ いての研究は、Josef Kreiner氏の
研究成果による内容を、元にしていす。

オランダでの着物の言い方は、"Japon","Japonse rok"
"Japonsche rock","Kamerjas"などです。

フェルメール、 「地理学者」。  着物としての判断者:外国のホームページ。
VermmerKimono.gif

フェルメールと日本の着物、および着物人気の概観。

上の人物の着ている服は、日本の着物と思われます。
下の天球儀を見ている人物の服も、そうのようです。
日本の着物は、かなりの流行になっていまして,かなりの画家が
着物を着た人物を描いています。

男性が着ている場合が多く、資産家から始り、学者、学生、画
家などの 芸術家が好んで着たようです。

現在に残る肖像画で、共通して感じられるのは
着物を着て、後世に残る肖像画を描いてもらうのを、誇りにして
いるように思われることです。

現在風にいえばカメラ目線、絵を見る人側に肖像画の人物の
目線があるような作品の多くは、着物の下に着用している洋服
が、高級なもののとうに思われます。

フランス語やスペイン語で"japon"は、"日本"を意味しますが
オランダ語で"japon"(ヤポン)は、"着物,dressing gown"
を意味しています。

オランダ語の"日本"は、英語と同じ"japan"です。

上の絵の服が、着物であることを指摘している記述は、現在の
ところ、ほとんどないようです。

私、17世紀オランダ・ベルギーでの着物の流行について調べ
ておりますが、フェルメールまでが描いているとは思っておりま
せんでした。
たまたま、"japonse rok"(japonの元語)と言う言葉で、ネット検
索をかけいて気づきました。

このことに触れているホームページは、1件のみしか見つけるこ
とが出来ていません。
このことに触れているホームページは、下記です。

  オランダ語のページになります。
http://www.johannesvermeer.info/verm/house/hz-japonserok-nl.htm

フェルメールは、着物を所有していたと推定されています。
当時のオランダに、前開きで、袖が広く、丈が長く、幅に余裕の
ある日本の着物に似た服が、着物とは別になかったのか?なども
調べてみておりますが、ほとんどなかったと思われます。
特に、絹のような柔らかな作りのものは、なかったようです。

隣の国ドイツを中心に、"Schaube"と言った前開きのコートがあり、
デューラーなども描いていますが、生地は固く、襟には毛皮をあ
しらったものが多かったようです。

Schaube
Schaube.gif
wikimeia

ただ、着物風の服を調べていて、現在、判断できないものもあり
ます。
レンブラント銅版画で"B126 Pharisees in Temple"ユダヤ教系の
教会の様子を描いたものですが着物風とも思える服が描かれて
います。
これがどのようなものなのか、判断できません。

Rembrandt B126 Pharisees in Temple
Rembrandt48JewsInSynaGogueS.gif
REMBRANDT'S ETCHINGS 1912
レンブラントの作品を調べていて、現在感じますことは、描かれている服に
前開き、前合わせのものがかなりあります。ただ、これらの絵は、
多くが、新・旧聖書の物語の場面で、ターバン風のかぶり物を
かぶった人に多いようです。ターバン風のかぶり物がない時
でも、現代のトルコ付近より南・東側をイメージした時に
この描き方をしているように、私には思われます。

日本の着物は、当初、日本・幕藩要人からの贈答品であったよう
ですが、人気がそうとうにあったようで、日本での注文生産、さら
にはインド商館での制作など、供給を増やしていったといいます。
また、オランダのみならず、他のヨーロッパ諸国へも販売したとも
いいます。

幕藩要人からの贈り物の数だけでも、毎年かなりあったようです。
将軍家への謁見時、将軍家から贈られたものだけでも毎年20枚
から30枚あり、全体の枚数が分っているケンぺルの二度目の江
戸参府の年、元禄5年(1692年)には、旗本などからの物を含め
使節団全体で、123枚の着物が贈られているそうです。
この内一部は、日本の世話役に贈られて日本に残ったようです
がほとんどが、オランダに持ち帰えられたといいます。

着物がオランダへ持ち込まれた当初は、資産家のステータス
シンボル的な意味が強かったようですが、西洋の体にぴったりし
た服とは違い、くつろいで着れることと温かくもあっておもに室内
着として、実用的な面がかなりあったようです。

18世紀初め頃には、かなり普及し、一般的な人にも手が届くよう
になり、外出時にまで着用されたといいます。
18世紀終わり頃には、外で着るようなことはなくなり、部屋着・ガ
ウンとして定着したといわれています。

また、私の調べでは、16から17世紀(安土桃山時代および江戸
時代前期)頃の日本の着物は、袖が、あまり大きくはなく、手の先
に行くにしたがって細くなって行く形が、かなり一般的であったと
の資料があります。

服の幅も、広めであったと言いますし、帯は細めで男女ともに腰
で結ぶのが一般的でした。
17世紀でも、寛文、元禄頃になると、袖の幅は広くなり始めます。

江戸時代前期の着物の形。
KimonoEdoZenki.gif
「近世風俗志」 昭和4年本。

上のフェルメールの絵の人物が着ている着物は、「綿入れ」
(別名"丹前","どてら")のように見えますが、フェルメールの時代
に、日本に「綿入れ」があったかどうかはっきりしません。
オランダで中綿を入れた可能性もあるように思います。

1600年代の始め頃には、絹の端切れなどを少しだけ入れた物
は、あったようですが、「綿入れ」は、ほとんどなっかと思われる
記述が残っています。

1600年代後期・元禄頃には、着物としての「綿入れ」はあった
ようですし、江戸時代後半には、相当に一般的になっているよう
です。

着物とは言えないのですが、着物と同じ形をしていて、中綿を入
れた物に「夜着・よぎ」と言う、袖も襟もある寝具・ふとんが、あります。
この「夜着」の類は、室町時代からとも、1600年代の初め頃から
とも、言われています。いわゆる「かいまき・搔巻」の類です。
着物と夜着の形の違いは、夜着の方が袖が長い程度のようです。
 

下の写真は、徳川綱吉(1646-1709 将軍:1680-1709)の
寝間着と伝えられている物です。フェルメールの描いた着物に
襟などの形が、よく似ているように思われます。

KimonoTsunayoshiNemaki.gif
「日本歴史考古学」後藤守一著、昭和12年より。

1600年の初め頃、ポルトガルの人が日本で見た着物の印象を
記述したものが残っていますが、それによりますと、全体的に
驚くほど華やかなものであったそうです。

同時代の日本の絵,1650年松浦屏風(婦女遊楽図左),岩佐又兵衛(1578-1650)。
Iwasa_Matabei_1.gif
wikimedia

同時代の日本の絵,1650年松浦屏風(婦女遊楽図右),岩佐又兵衛(1578-1650)。
Iwasa_Matabei_2.gif
wikimedia

1650年以前、「彦根屏風」部分、伝・岩佐又兵衛(1578-1650)。
MatabeHikone.gif
浮世絵大成、昭和7年。絵の右3分に1付近に縦の線があるのは、本の折れ目です。

2011年9月24日追記:すでに17世紀前半には、「綿入れ」が普及していたと言える資料がありました。
 ジョアン・ロドリーゲスの「日本教会史」です。この本には、「綿入れ」としての詰め物に
真綿(絹の屑)と木綿があったこと、庶民用には木綿が用いられこと、木綿や麻の
布に綿を詰めた物を「布子(ぬのこ)」と呼んだことなどが書かれています。
また、木綿の急速な普及についても書かれています。
 (参考にした本は、岩波書店、大航海時代叢書 Ⅸ 「日本教会史」です)


フェルメール、 「天文学者」 1668年。  着物としての推定:安藤
JanVermeerTheAstronomer.gif

同じ天文学者を扱った版画に、これも着物ではないかと
思われる作品がありましたので、下へ掲載いたします。

「人の職業」(1694年初版出版)ヤン・ライケンと息子著・画
「天文学者」

版画天文学者



ヤン・ステーン、Second Wife of Gerrit Gerritsz Schouten 1665年。着物の推定:安藤
Steen65SchoutenWF.gif

上の絵は、紋付の和服と思われますが、紋の位置が
和服の紋の位置と完全に一致しています。ただ
紋の文様がイマイチはっきりしません。

生地は絹で、金蘭、緞子、錦といわれる類の
相当な高級品と思われます。

ヤン・ステーン以外で、紋付の和服を描いていると思われる
画家に、MIchiel van Musscher(1645-1705)と言う人がい
ます。絵には、"A man dressed in silk"と言うタイトルが
ついています。掲載できる画像がないのですが下記
サイトでご覧頂けます。別ウィンドウで開きます。

http://www.terminartors.com/artworkprofile/Musscher_Michiel_van-A_man_dressed_in_silk

五つ紋タイプの紋の位置の参考として
下に江戸時代の日本の絵を一枚
掲載いたします。1700年代
前半頃の絵です。


推定 作者 :西川祐信または西川系、 「風俗鏡見山」。
NisikawaSukeAsaka.gif
日本風俗図絵 大正3年本を使用。

上の絵は、普通の町方の若い女性を描いたものと思われますが
この絵のように町人の人が紋付きの着物を着ている情景が
他にもかなりあります。この時期、紋付きの着物が
かなり広く着られていたようです。

着物の紋について、江戸時代末後期の本に
書かれている内容をご紹介いたします。
「近世風俗志」を口語訳にした
「近世風俗辞典」人物往来社
より引用いたします。

 記号は、俗に定紋とか家紋、あるいは、紋といって記号
付き小紋を、紋付という。

前二紋、背三紋が、一般的である。
衣服は、三都とも、必ず五紋をつける。
羽織には、五紋か、背一紋前二紋の三紋か
背のみ三紋か、あるいは、背一紋かである。
ただし、貴人は、羽織も必ず五紋である。

紋の直径は、普通一寸二分(3.6cm)で、婦女は一寸一分
(3.3cm)、武士は1寸三・四分(3.9~4.2cm)ぐらいである
が定制はない。

高貴な人が、臣下やその他の者に、与える衣服垢付という
のは普通の紋付だが、時服の拝領には、大形の紋で二寸
(6.1cm)ぐらいである。

加賀染には、黒の紋付が多いが、これは、記号ではなくて
色々な花模様である。
これも、前項図のように(下へ掲載)、大きさ一寸二、三分で
あり時に応じて、五所に同じ紋や記号を描くこともある。
加賀染は、5ヵ所に、松竹梅・鶴亀などを彩色したもので非
常に美しい。

紋の位置、前。
KimonoMonMae.gif
「近世風俗志」 昭和4年本。

紋の位置、背。
KimonoMonSe.gif
「近世風俗志」 昭和4年本。


ヤン・ステーンの描いた、上の絵と下の絵が、離れて
しまいましたが、ご夫婦の肖像画です。

ヤン・ステーン、Gerrit Gerritsz Schouten 1665年。  着物としての推定:安藤
Steen65SchoutenF.gif

フェルメールの上2枚の作品と下の作品は、着物の生地が、何であるか
はっきりしませんが、他の作品の多くは、生地が絹
と思われるものが、ほとんどです。

ただし、現存する着物の写真には、綿製と思われるものがありますし
古い1766年の、オランダ-英語辞書に、"Een katoene japon"
と言う言葉がみられ、これは"綿製の着物"を意味していると
思われますので、ある程度、綿製の着物もあったものと
思われます。(古い辞書は、ウェブで閲覧出来ました)

ヤン・ステーン、 ドゥローイング・レッスン。  着物としての推定:安藤
DrawingLesson.gif
visipix


上の絵の部分拡大図、別のソースを使用。
SteenDrawingLessonATP.gif



ボル、 自画像。  着物としての判断者:アムステルダム国立美術館
FerdinandBol1667Selfportrai.gif
wikimeia

アムステルダム国立美術館に所蔵されている資料について:

アムステルダム国立美術館(レイクス・ミュージアム)には当時の着物が残っています。
このアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)では
着物の所蔵品をホームページで公開しています。
リンク先は、下記です。別ウインドウで開きます。
http://www.rijksmuseum.nl/zoeken/search.jsp?query=kamerjas&lang=nl&focus=assets&filter=&order=&start=1

(注:このページはオランダ語です。検索欄に”kamerjas”と入力して
表示させたページです。検索結果は、数ページあります。見て頂きた
い画像が、どのページに表示されるかは、決まっていないようです。
何か違うように感じましたら、Paginと言う項目の数字をクリックして見て
下さい)

着物の大型画像1枚をご覧になるには、下をクリックして下さい。
http://www.rijksmuseum.nl/assetimage.jsp?id=NG-NM-1106


ヴォルテール Voltaire(1694-1778)1765年と
フランス革命の発端となったバスティーユの蜂起(1789年)。
BastilleD2
1917年、1951年の本を使用、合成。

つぎに、18世紀の話ですが、フランスの文学者・哲学者・啓蒙家であり、フランス革命
多大な影響を与えたと思われる
ヴォルテールの話しを、少しご紹介いたします。
フランスなどでは、
18世紀を「ヴォルテールの世紀」と呼ぶほどの人です。
上にリンクを 掲載しましたアムステルダム国立美術館にヴォルテールの
高さ32cm程度の、小さい彫刻かあるようです。 この像の服も
"
japon","Japonse rok"の さらにもう一つの呼び方
"Kamerjas"を 着ているそうです。ヴォルテールは
「ケンペル」の著作をとうして、 日本のことを
ある程度知って いた人で、「法の精神」で
モンテスキューが当時の日本を酷評して
いるのに反し、著述の中で日本を評価
しているように受け取れます。
彫刻のリンク 先は、下記です。

http://www.rijksmuseum.nl/images/aria/bk/z/bk-16932.z

"Kamerjas"という言葉ですが、上に書きました1766年の辞書では
見当たりませんでした。代わりに、
"kamer-rok"と言う言葉があり
これが、"japon"と同じ意味のようです。"kamer"は
"room・部屋"を意味しています。

ヴォルテールの日本に関する記述について:
1756年に著された"l'Essai sur les moeurs
et l'Esprit des Nations,...."と言う本のChap.
CXLII(142章)Du Japon、Chap.CXCVI(196章)
Du Japon auXVIIe siecle, et de l'extinction de la religion
chretienne en ce pays.等に見られます。私のフランス語能力では
うまく訳せません。また、「法の精神」の日本に関する記述ですが、日本で
発行されているほとんどの本には、記述がありません。「法の精神」と題された
本のほとんどが抄本です。私が参考にした本は、河出書房新社の世界の大思想23
 モンテスキュー 1974年です。



フォイス Ary de Vois (151-1712)。  着物としての推定:安藤
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フォイス Ary de Vois (151-1712)。  着物としての推定:安藤
Ary_de_Vois_Portrait_eines_Herrn_im_Hausmantel
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Jan_Verkolje, Antonie van Leeuwenhoek 1670-1693年頃。 着物としての推定:安藤
Jan_Verkolje_-_Antonie_van_Leeuwenhoek
wikimedia
Antonie van Leeuwenhoek、レーベンフックと言う人は、微生物学の父と呼ばれる人で
アマチュアとして顕微鏡を自作しながら微生物学を研究した人です。また、フェルメール
と交流があったと言われています。


Caspar Netscher, ホイヘンスの肖像画 1671年。着物としての推定:安藤
ホイヘンスの肖像画
wikimedia
ホイヘンス(Christiaan Huygens,1629~1695年)は、オランダの数学・物理・天文
学者で、一般には振り子時計の発明者として知られている人でが、数学、力学、光学、
天文学と多彩な実績を残しています。着物としての判断がしにくい肖像画ですが、裏地
の状態、全体の雰囲気が上に掲載しているステーン作のGerrit Gerritsz Schouten氏の
肖像画に似ているところから着物と判断致しました。この画家Caspar Netscher, カスパル
ネチェルは、着物と思われる服を着た肖像画を、多数(5枚以上)描いています。この中に
大変派手で大柄の物があります。小さい画像しか掲載できないのですが、ご覧ください。

Gisbert Cuper の肖像画。
Gisbert Cuperの肖像画
wikimedia


Jacob Ochtervelt。  着物としての推定:安藤
JacobOchtervelt.gif
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ナイフェ Matthijs Naiveu (1647-1726) 1700年の作品。  着物としての推定:安藤
MatthijsNaiveu17004726.gif

上の絵は、父親が、出産直後の部屋へ、生まれたばかりの
子供の様子を見に、入って来た情景のようです。
左側の父親と思われる人物が、 着ている
服が、着物と考えられます。

雑談:この時代のオランダ・ベルギーの絵画を見ていまして
上の絵のような、出産直後の様子を描いた作品が
何枚かありました。ただ、どうも、生まれたての
赤ん坊の描き方が、人形的で生気を
感じません。これは、西欧の当時の
習慣で、この時期の赤ん坊は
手足が動かせないほどに
押さえつける習慣 によ
るものの様です。

Jan Lievens(1607-1674) Young Man in a Yellow Robe 1630-1631年頃の作品。
Young_Man_in_a_Yellow_Robe_c1630-1631_Jan_Lievens_S
souce: wikimedia, レタッチ・ソフトによりノイズ除去処理。
ヤン・リーフェンスのこの作品は、着物であるのか?
はっきりしませんが、絹製と思われること、ローブと
書かれていることからしして、着物である可能性は
高いと思います。また、黄色い絹は、自然に産する
物のようです。ちなみに、この方は、この時期まで
レンブランドと共同の制作場所にいたと言われる
人です。1631年は、レンブラント25歳、この方が
24歳です。

掲載できる作品がないのですが、上に掲載した人たち以外で、
着物を着た肖像画を、描いていると言われている画家には

Bartholomeus van der Helst(1613-1670)
Anna Elisabeth van Deede(1652-1682)
Jacob Feitama Jr(1698-1774)
(この方の作品は、レイクス・ミュージアムのウェブ内に有)
Nicolaes Maes (1634-1693)
(この方の作品も、同上)
などの画家がいます。 




和服・着物の影響・特徴をもつ服装。

「現代科学の父」と言われる人。

イギリス、 "Banyan"を着たアイザック・ニュートンの肖像画(晩年)、1709-1712年頃。
Newton_Thornhill.gif
wikimeia

私が、この絵を見て、着物か、着物に近いものではないかと思ったのは
形や質感だけでは無しに、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスと言う
方が、1585年頃にまとめた、未刊の著作「日欧文化比較」の中で
述べている、下記のような言葉が思い浮かんだことにもよります。

「われわれの間ではいつでも衣類の地は裏地よりも良質である。
日本では貴人(セニヨール)の胴服dobuqusは、可能ならば
その生地より良い裏地を付ける」岩波書店1965年
岡田章雄氏訳より引用。注)胴服とは、一般の
着物の上に着る、羽織の類です。

上の絵の服の袖口、襟に見られる柄は、金糸、銀糸系で
唐草文様のように思われます。唐草文様・アラベスクの
分布は、西はイタリアから、東は日本まで、範囲が
大変広いものであるのと、柄がイマイチ、
はっきりしないため、どの地域の柄か
特定しずらいように思います。

英語圏では、上の絵のような服を"Banyan"と呼ぶそうです。
上の服が、日本の着物そのものでないにしても
着物の影響を強く受けた服であることは
ほぼ 確実です。また、"Banyan"の
元の意味は、カジュマロ系(?)
の木の名前です。


"Banyan"と呼ばれるこのタイプの服は、"Banyans,Baians
Banjans,Bannian,
Indian nightgowns,Indianなどとも
呼ばれています。ここで使われている
"Indian"
と言う言葉は、必ずしも"インド(の)"だけを
意味しているとは限りません。東南アジア,
さらに,東アジアも含めて呼ばれ
ていることがあります。

テイラー展開で知られる数学者、ブルック・テイラー(テーラー)の肖像画、1720年。
遠近法の説明する着物のブルック・テイラー、Portrait of Brook Taylar
souce: wikimedia, Louis Goupyの作ではないかと推定されています。
(この服の材質は、木綿のようの思われます)
脇道にそれますが、この絵は、遠近法の説明をしている図でのようです。
この絵の一年前、1719年に "New principle of linear perspective, or
the art of designing on a plane representions of all sorts of objects
in more general and simple"(線遠近法の新し法則、または、あらゆる
種類の対象物を、より一般的かつ簡単に、平面表現するデザイン技法)
と言う本を著しています。大変に正確な遠近法(透視図法)のようです。
この本は、ECHO, European Cultural Heritage Onlineで見ることが出来
ます。下記をクリックすると別ウィンドウで開きます。89ページ以降に図が
掲載さえています。あまり見や見やすい状態とは言えませんが、3点透視
の図まであり、参考になると思います。
Brook Taylor, New principle of linear perspective.

話を"Banyan"の話に戻します。
ただ、イギリスは、日本との直接交易の期間が
1600年代の前半にあっただけで、 あまり
長くはありません。着物を日本から
直接入手する機会はあまり
なかったと思われます。


また、イギリスでは、絹を自国生産(養蚕)することが
ついぞ出来なかったとも言います。

どうも、イギリスでの、この"Banyan"と呼ばれる服の
流行は、
"Tea"(お茶)の流行と、ほぼ流れが
一致しているように感じられます。

イギリスは、このお茶(緑茶、紅茶)を、1860年代まで
ほとんど中国から輸入しています。インド地域の
栽培が本格化するのは、1860年代以降です。

1700年代の始め頃の風刺画には、ご婦人方が
テーブルを囲み、お茶を楽しんでいるものが
ありますが、このご婦人方が着ている服
が、
この"Banyan"系の服です。

2014年1月26日追記:
"Banyan"系の服と”お茶”の組み合わせが見られる
絵画作品には、Joseph Van Aken(1699-1749)の
”A Tea Party”(1719-1721年頃の作)や
”An English Family at tea”(1725年)
Gawen Hamilton(1692-1737)の
”An elegant family at tea”
などがあります。

"Banyan"の話の最後に、ネット上でこの服を
解説しているページを1つご紹介します。
University of Delawareと言うUSAの
ホームページ内です。安全上問題
は無いと、思われますので
リンクいたします。

下をクリックいたしますと別ウィンドウで開きます。
英語ですので、ヤフー翻訳などでご覧に
なるのも、良いかと思います。

http://udel.edu/~orzada/intro19thC.htm


フランスと日本の着物。

17世紀から18世紀にかけて、日本の着物のフランスへの影
を調べいます。まだ、確かなことが十分には分かりませんが
今までに分かったことを、下へ記述してみます。

"Robe de chambre"(部屋着)、"Indienne"(アンディエンヌ)
と言うフランス語が、着物に関係しているように思われます。

"Robe de chambre"は、英語で"Dressing-gown"に当たります。

"Indienne"(アンディエンヌ)は、現在のフランス語では
形容詞「インドの(女性形)」、名詞として「インド人(女性形)」
そして「インド更紗(さらさ)」を、おもに意味しています。
しかし、過去において、織物関係の言葉としの"Indienne"は
「インド更紗」だけではなしに、かなり色々な衣類を含む織物
に使用されたようです。
着物・着物風の物も、"Indienne"と呼ばれたと、思われます。

まず、現在の著述になりますが、"Fashion:The Collection of
the Kyoto Costume Institute: a HIstory from the 18th to
the 20th Century", Taschen, 2002年に、下記記述が見られ
ます。
  "These are called Japonsche rocken in Holland
   robe de chambre d'indienne in France
, and
   banyans in England
."
 と書かれています。前文からしてTheseは、着物のことを意味
していますので、この文は、着物のことを、オランダにおいては
"Japonsche rocken"と言い、フランスでは、"robe de chambre
d'indienne"と呼び、イギリスでは、"banyans"と呼ばれたことに
なります。

1743年の辞書"Dictionnaire complet Francois et hollandois"
Pieter Marin著の"INDIENNE"と言う項目には
  "INDIENNE, Robe de Chambre des Indes. Japonsche rok,
Sitse Kamerrok
.・・・・・"
 (標準字体:フランス語、イタリック:オランダ語)
 ("Sitse"と言うオランダ語ですが、現代は使われていない言
  葉のようで、現代の辞書を調べてもわかりません。古い辞
  書に"SITS"と言う言葉があり、おもに良質なインド更紗類
  を意味していたようです。"Sitse"はこの言葉の形容詞形
  ではないかと思われます。"Sitse Kamerrok"は、「良質な
  インド更紗地の着物・部屋着」と言う意味のように思われま
  ます。"SITS"は"CHITS"とも言ったようです)
また、"ROBE de chambre"の項には
  "ROBE de chambre, tant pour homme que pour femme.
    Kamerrok, japonse rok, japon.・・・・・"
 (標準字体:フランス語、イタリック:オランダ語)
と言う記述が見られます。
これは、"Indienne"="Japonsche rok"、そして
"Robe de chambre"="Japons(ch)e rok"の意味になります
ので"Indienne"="Japonsche rok"="Robe de 
chambre"=「日本の着物」と言えるように思います


ここで
「日本の着物」と言っても、日本の純正品以外にも、着
物の模写・模造品、着物風の物なども含めて考える必要が
あるでしょう。

"Kamerrok"と言う言葉に関しても、同じPieter Marin著の別の
辞書"Groot nederduitsch en fransch woordenboek"1730年
版には、"KAMER-ROK"の項に下記記述があります。
  "KAMER-ROK. Zie JAPONSE ROK. Robe de
   chambre
. f. "
 (標準字体:オランダ語、イタリック:フランス語)
 ("Zie"と言うオランダ語は、「見よ・参照」を意味していると
  思われます)
上記は、"Kamer(-)rok"="Japons(ch)e rok"="Robe de
cambre"と言えるように思います。
念のため、参照先である"JAPONSE ROK"が載る"JAPAN"の
項目を調べましたが、ほぼ同じ内容の記述がみられました。

また、"Kamer-rok"が"kamerjas"と同じ意味であると書いてあ
る辞書もありました。

さらに、1690年初版、1701年版の辞書"Dictionaire universel"Antoine Furetiere(アントワーヌ・フュルティエール)
著には"INDIENNE"の項目に、下記のような記述があります。
  "Robe de chambre a la maniere des Indiens, qui est  
   venue a la mode
, soit qu'elle soit seulement taillee
   a la maniere  des Indiens avec des manches fort 
   larges, ・・・・・"
この記述は、"INDIENNE"(アンディエンヌ)が、インド風の部
屋着であり、流行したこと、および、もっぱらインド風に裁断さ
れた大変袖の広い物であると言っているようです。

ここで言うインド風と言うのは、必ずしも現代のインド地方のこ
とと考える必要はないと思います。日本を含み東洋全般と考
えられます。
ただ、はっきりした資料があるわけではないのですが、着物風
の物が、現代のインド地域で作られ、ヨーロッパに持ち込まれ
ていたようです。

上記より、フランスでも着物が、少なくともある程度は、流行し
と言えるように思います。

18世紀後半の話となりますが、上に記しましたヴォルテールと
肩を並べるような啓蒙思想家にDenis Diderot:ドニ・ディドロ
(1713-1784年)と言う人がいます。
「百科全書」と言う先進的な大著を編纂した人です。
この人の1772年の短いエッセーに"Regrets sur ma vielle
robe de cambre
"(フランス語)と言うのがあります。日本語に
は「私の古い部屋着への惜別(せきべつ)」と訳されています。
ここで言う"robe de cambre"が着物だと考えると、ディドロが
愛用していた古くてシミのついたような着物を処分してしまった
ことを、惜しんでいる様子がうかがえ、感慨深いものがあります。
(このエッセーは、Webに日本語訳を載せてくれている人がい
ます。「私の古い部屋着への惜別」で検索してみて下さい)

注)上記の調べに当たり、辞書"Dictionaire universel"
      Antoine Furetiere(アントワーヌ・フュルティエール)著に
      関しては、「人間文化創成科学論叢 第14巻 2011年
      17、18世紀フランスにおけるアンディエンヌ
      ―リシュリュー・コレクションの織物見本集と
      ポンパドゥール夫人の財産目録の分析を通して―」
      権 裕美著の記述を、参考にさせてもらいました。

20012年6月3日~8日、記述。


日本の着物の話の最後に、オランダの美術館・Westfries Museumのホームページを
ご紹介します。下のリンク先をクリックしていただくと、ご覧になれますが
10分程度のビデオが流れます。「オランダ東インド会社物語」と言う
オランダ語のナレーション入りのものです。私には、95%以上
ナレーションの意味が分りませんが、日本との関係が
多く取り上げられているのが分ります。
取り上げられている内容は
下記のような事項です。

日本:ヤパン、日本の:ヤパンセ、俳句:ハイク
レンブラントと和紙:レンブラント、ヤパンセ・パピエ
着物:キモノ、ヤポンセ・ロック、出島:デシマ
将軍:ショーグン、お茶:テエ
着物を着た肖像画4枚
扇子仏像など
です。

http://www.wfm.nl/index.php?option=com_playlist&task=detail&Itemid=97&catid=27&id=10

注)音が、大きめに始まるようなので、音量を抑えると良いです。


着物としての推定:安藤」と書きましたのは、当ページ作者、安藤の
判断が、大きいことを意味しています。このように書きました画家
の方についても、作品を指定していない状態で、これらの画家が
「着物を描いている、描いているようだ」との指摘は
多くはないのですが、あるものもあります。

資料について:掲載した絵の下に出所を記載していなものは
海外のフリーソースをもとにレタッチ加工したものです。


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制作・責任:安藤 勇
2008/07/31

添付:ご参考資料。

あまり重要とは思われませんが、多少の御参考には
なりそうな写真と絵を、下へ掲載いたします。

上に掲載の「伝・徳川綱吉の寝間着」が載っているページ、1ページ全体。
KimonoRekisi800.gif
「日本歴史考古学」後藤守一著、昭和12年より。


着物の形をした掛け布団と思われる絵。「夜着・かいまき」の類。
勝川春章(1726-1792) 「ほととぎす」部分(上下をカット)。
Yogi500.gif
日本風俗画大成 昭和4年より。
季節としては、現代の暦で、4、5月頃を描いています。


"India"が、現在のインド地域だけを指した言葉ではなかった1例。
「Mercator・HongiusIndia Atlas」 1633年 アムステルダム発行。
MercatorHongiusIndia1633.gif
1952年発行の本を使用。

以上。